Diamond Logos Teachings (DLT)

ナチュラル・グレート・ピース

サムサーラ(繰り返される転生)の無限の海の、過酷な憤激の強打の波のように

カルマと神経症な考えに打ちのめされてどうしようもなく疲れ切ったマインド(思考活動)を

ナチュラル・グレート・ピース(あるがままの大きな安らぎ・静けさ)の中で休めましょう。

by Sogyal Rinpoche


WHAT IS THE SCOPE OF OUR JOURNEY?

The Diamond Logos Teaching (DLT) guides the journey of the spirit from the labyrinth of the personality structure towards the Essential Self. It is a journey of discovery and exploration without a predetermined destination


私たちはどんな旅をするか?

ダイアモンド・ロゴス・ティーティングスは入り組んだ人格構造から(個人の)本質性へ向かう - 魂の旅をガイドします。これは、発見と探求の旅であり、お決まりの着地点はありません。

WHAT IS OUR APPROACH?

The DLT guides individuals to find their unique Essential Self, rendering Essence accessible. The teachings do not focus on treating or curing a mental disturbance, or fixing the personality structure. Even though it contains therapeutic elements, it is not psychotherapy. The Work encourages individuals both to participate in and to bring the teachings into daily life.


私たちのアプローチは?

ダイアモンド・ロゴス・ティーチングスは個人が持つユニークな自己の本質性を見出すことにあります。この教えは、精神/心の障害を治す/治療する、または構造化された人格を調整することが目的ではありません。セラピュティックな要素が含まれていたとしても、心理療法・精神分析の類ではないのです。ワークは日常の生活に関わりながらこの教えを有効化することにあります。


HOW DO WE WORK?

This is an ongoing work of gradually learning to become more receptive to our Essential Self. During retreats the qualities are introduced through meditations and teachings. Then self-inquiry is used to sense and explore what was activated individually through the teaching, allowing for integration. Between retreats we deepen into each quality through day-long deepening groups and individual sessions.


どんなワークか?

私たち自身の自己の本質性を理解して受け入れる方法を段階的に学びます。リトリートの中で瞑想と教えを通して "質" について知ります。教えの最中に - 個人的内容が刺激される - を知る・探求するとき "セルフ・インクワイアリー(自分自身に尋ねる) " を使います。それに関わることを(自分が)許可します。コースが進むに連れてグループ自体が深まり、それぞれの "質" も深まっていきます。個人セッションを受けることもできます。

WHAT ARE THE LATAIF?

The Lataif are qualities, forms of consciousness, or centers that are the first subtle or fine manifestations of Essence. The word Lataif (singular: Latifa) comes from Arabic and is defined as subtle energy. Within the Sufi tradition, it is generally agreed that there are five primary centers of perception (Lataif) associated with certain colors and locations in the body.


ラタイフ (LATAIF) とは?

ラタイフとは、本来の質 、意識の形状、または、最初の捉えがたく微細な質のセンター(中心)です。ラタイフはアラビックが語源で微細なエネルギーを定義づけます。スーフィの伝統による一般的な意見では - 体の中の場所と特殊な色に関連した - 知覚によって認識できる5つの主要なセンター(ラティフ)があると考えられています。


WHAT IS ESSENCE?

Essence is the manifestation of our True Self into different palpable qualities such as Presence, Strength, Joy, Compassion and Peace. It is independent of conditioning and completely natural to us, not a product of the environment. Before the development of the personality a small child is still in his Essence; he is essence.


エッセンス (Essence) とは?

エッセンスは私たちの真我 (True Self) の現れであり、プレゼンス(存在する)・ストレングス(力強さ)・ジョイ(喜び)・コンパッション(思いやり)、そしてピース(平和・静寂)など - 感じることができる質のことです。これらは条件づけによって依存・左右されず、私たちの極自然な状態であり、環境・周囲の状況によってもたらされるものではありません。それゆえに、人格が発達する以前の小さな子供は彼らのエッセンスとともにあり;彼自身がエッセンスそのものなのです。

HOW DO WE EXPERIENCE ESSENCE?

Essence can be felt, seen, tasted, smelled and even understood. However, its most definitive aspect is a sense of existence. When we experience our Essence, we are one with what we perceive. Our body does not only feel light, it is light; we do not only feel happy, we are happiness; and we are not only curious, we are curiosity.


どのようにエッセンスを体験するか?

エッセンスは、感じる・見る・味わう・嗅ぐ、さらには理解することができます。いかにあれ、その最も確実な性質・様相は命・存在 することの "感覚" です。私たちが自身のエッセンスを体験するとき、自分が(五感によって) - 気づく・知る・認める・感知する・理解するものと -ひとつ-になっています。私たちの体はただ光を感じているのではなく、- 光 それ自体- なのです;私たちはただ幸せを感じているのではなく - 幸せそれ自体 - なのです; そして、私たちはただ好奇心があるのではなく、 -好奇心それ自体 - なのです。



ダイアモンド・ロゴス・ティーチングスの創始者 Faisal Muqaddam は異なる伝統の教師やセラピストのワークを経験した後、1970年以降にDLTを展開し始めました。彼の内なるガイダンスはダイアモンドとダイアモンドの輝きとして現れたのです。

それぞれのダイアモンドにその知識の領域があり;この知識は、ただ直感的、ただ分析的、または、ただ実用的なだけではなく、それらのすべてを含んでいました。それはとても正確でありまた客観的方法で徐々に進化し、ゆえに、ダイアモンドの質を持っています。

それぞれのダイアモンドが知識を供給し、その知識をはっきりと表現(明確な発音)するので、ロゴスです。内なるガイダンスは折りたたまれたエッセンスを展開させる方法をもたらしたので、ゆえに、ティーチングス(教え)です。

その方法は、体が基盤の感覚ワーク、瞑想の指導、そしてセルフ・インクワイアリーです。DLTは東洋の精神性(ブディズム、スーフィズム、ヒンドゥイズム)と西洋の心理学(精神分析学、エゴ心理学、発達心理学)が統合され、ゆえに、広い範囲での心理-精神性な学問(知恵)を包囲しています。

いかにあれ、この(東洋と西洋の)ふたつが単に組み合わされたのではなく、重要な取り組みによって両者が卓越することができます。西洋心理学からの大きな一歩は、教えは心の障害を治すまたは治療する、または、不確かな人格構造を確定する、などに焦点を当てません。たとえ、それが起こるような治療的要素を含んでいたとしても、これは心理療法ではありません。

もう一方、伝統に基づいた精神性からの大きな一歩については、DLTは個人が彼らのユニークな –本質的自己 essential self- として導かれます。本質的要素の領域essential domainが開く手助けをし、アクセス可能にします。この方法は、概して(私たちのユニークな)自己の本質性に対して無関心であり、絶対不変の領域 the absolute domain(神性の源、全てが始まるところ)のみに焦点を置いている一般の伝統的精神修行の教えと多少違っているかもしれません。

にもかかわらず、DLTは世俗的な領域 the worldly domain(人格、エゴ体系)、本質の領域 the essential domain、完全不変の領域 the absolute domain、を別々の実体としておらず、私たちはこれらのどの領域にも同時に居ることができると主張します。もし、これらの実体を切り離し、ひとつが他方よりも本物であるなら苦しみが生まれるでしょう。

言い換えると、もし、見えている領域だけに注意がいかず隠されている方を無視すると苦しみ、またその逆に、自分自身を神秘主義的な、または隠された領域に閉じ込め束縛してしまうと苦しむことになります。このような理解の上、DLTは日常生活にこの教えを持ち込み、また私たちが生活に関わることを勇気づけます。 


日本で開催するダイアモンド・ロゴス・ティーチングス

Welcome to Diamond Logos Teachings in Japan

ダイアモンド・ロゴス・ティーチングスのふたりの教師 Emilio Mercuriali と Bhadrena Tschumi がエッセンスに深く働きかける一連のリトリートを紹介します。それは本質性と本当のあなたへ向かう素晴らしい旅となるでしょう。リトリートは7つのモジュールで構成され、2018年から始まり年2回の速度で進行します。ひとつひとつのモジュールは4日間で次のモジュールに流れるように進展するため、基本的に順序だって受講することをお勧めます。もし、事情によって途中参加となる場合、教師のインタビューが必要で承諾されれば参加することができますがコースが始まった後の参加になるので特別なワークを事前に行う必要があることをご承諾ください。モジュール(規格化された構成単位)は研修的な形で伝授されてきました、教えは瞑想とセルフ・インクワイアリー(自分に問い掛けを行う)が土台になり相互に深まっていきます。リトリートはあなた自身の真摯な取り組みを通して体験し発見することで質が高まり、量感が増していきます。


---  Sequence of retreats リトリートの順序

  1. DLTの紹介、ソウル・チャイルドとイエロー・エッセンス

   (2018年7月5日〜8日 - Emilio

  2. DLTとインクワイアリーのプロセス:

   内なる世界を巡航する(2018年10月25日〜28日 - Bhadrena

  3. レッドとホワイト・エッセンス(2019年4月11日〜14日 - Emilio

  4. スーパーエゴ、自己批判の口やかましい声(2019年9月5日〜8日 - Bhadrena

  5. グリーンとブラック・エッセンス(2019年11月29日〜12月1日 - Emilio

  6. エニアグラムと人格の固着(2020年2月20日〜23日 - Bhadrena

  7. ディープブルー、そして、ブラック・エッセンスの完了(2020年7月2日〜5日 - Emilio


本質的な質は私たちの霊性が表されたものであり、すべての人間の中にあって、心理的・思考的・感情的な制限から自由になった時に表現されます。一度、これらの質が(制限から)自由になるとその質は日常生活の中であなたをサポートし始めます。人生の経験によってではなく、また、誰かが望むからではない、あなたが本当に何者であるかの真の可能性に向かって導かれます。その参考になる幾つかの点をこの文章の中で紹介します。ゆっくり時間を持ってこのワークの紹介文を読んでみてください。


--- Diamond Logos Teachings (ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス)の意味

  • Diamond ダイアモンドは精密さと精密度を指します。

  • Logos ロゴスは言葉を指し、原語は、明確な発音と表現をもたらします。

  • Teaching ティーチングスはエッセンス(生来の性質)との繋がりを妨げている

   人格パターンを理解するのに必要なガイダンスです。


--- The Essential Map エッセンシャル マップ

ダイアモンド・ロゴス・ティーチングス(DLT)は 複雑に入り組んだ人格構造の迷路から本質的自己に向かう魂の旅の案内をします。あらかじめ準備された到着点がない - 探検と発見の旅として Faisalは “スピリチュアルな旅” ではなく “スピリッツの旅” と呼んでいます。

DLTは、それぞれの個人が彼ら自身のユニーク性を見つけ出すことができるように隠された王国(本質)を示す地図を提供しています。DLTが主とすることは個人が本質的自己の意義を見出すことを助け、私たちがなぜこの世界に存在するのか、そして、私たちの忘れ去られたエッセンス(本質)を救済することにあります。 

DLTはある種の世界観や哲学を教える、または強要するのが目的ではありません、また、傷を癒す、何であれ個人が背負っている問題を修復することが目的でもありません。

客観性はある種の意識や気づきを生み、私たち自身の問題をもっと客観的にみることを可能にします。その結果として、苦悩に意味がもたらされ、ただのエネルギー損失とならず、私たちの真の姿へ再びつながるツールとなることができます。

このような客観的な意識状態の発達は、構造化された人格とエッセンス(本質)を区別するために必要なスキルを育てることよって成し遂げられます;エゴとの同一化から真の主体性(独自性)へ。意識がさらに目覚めると “問題” と同一化せず向かい合うことができ、問題を ”理解する” に至ります。一度、これを体験するとエッセンスの面が自然と満ち溢れ、あなたの無用な努力なしに癒しが起こります。


--- What is Essence?  エッセンスとは?

エッセンスは生来であり、生まれたての新生児がそうだったようにです。それは、私たちの真の姿であり、私たちの存在の真実であり、私たちの純粋な意識と気づきです;それは “私は I am” を直接体験することができる私たちの一部です。エッセンスは条件づけとは無関係の - 私たちの真我です;社会的文化的な事情や状況の結果ではなく、完全に私たち自身に属するものです。グルジェフはそれこう表現しています 「…人は2つの部分からなる:エッセンス(本質)とパーソナリティ(人格)である。エッセンスは彼自身であり、人格は ‘彼自身ではない’ 。幼い子供は人格がまだ育っていない。その子供はただ彼自身である。彼はエッセンスだ。彼の欲望、味覚、好き嫌い、彼はそれ自体として生きている。」


---How do we experience Essence? エッセンスはどう体験されるか?

エッセンスの実体は  -私たちが全体として在る- です。肉体として、感情として、精神として体験されます。感じることができ、見ることができ、味わうことができ、嗅ぐことができ、さらに精神や感情を理解することもできます。

分かりやすく言うと、すごく幸せに感じた時を思い出してください。幸せはただの思いはありません;楽しかったし興奮したでしょう。人生に対してポジティブになれ、体は軽く生き生きとしています。心地よく幸福でおおらかです。このようなケースでは、イエロー・エッセンスが活発に体験されています。

エッセンスにはたくさんの面があり、愛、喜び、幸福、力強さ、慈愛(思いやり)などとして体験されます。閉鎖感(いきづまり)や抵抗(敵対心)から自由な時です。いかにあれ、その根本的で最も決定的な要素は "実在している" という感覚です。私たちが自身のエッセンスを体験する時、その知覚とひとつになっています。その間に立って、私たちの存在に気づく立場にいる必要もありません。

通常、個人個人は別々であり、個性化した体を持ち、感情を持ち、考えを持ち、そのように存在していると思っています。言い換えるとと、私たちは自身の存在を肉体、感情、心の体験から推測しています。それがいかにあれ、エッセンスを体験している時、私たちが存在していることを知るために、これらの体験に依存する必要はありません。

同じ例えを用いてみると、私たちがイエロー・エッセンスを体験している時、体が軽さを感じているのではありません、"軽い" が起こっているのです。;私たちは幸せを感じているだけではありません、"幸せ" が起こっているのです;私たちはただ興味を持っているのではありません、"興味" が起こっているのです。それでこそ、体とハートとマインドがひとつなのです;私たちの完全性として。感覚、感じ、知覚が私たちの実体です。私たちが確実に実在していることを直接的に知ることができます。

 

--- Losing touch with Essence エッセンスにつながることができない

エッセンスが、本当に私たちが誰であるかという事実であるとすると、私たちの多くがそれに全くつながることができないのは馬鹿げています。にもかかわらず、周囲の勢力は反対するか、反対せずともエッセンスをサポートしない、のが通常です。

当然とされる外的社会の力の成り行きから見ると– 例えば、家族、教育、または宗教ですが – 私たちのエッセンスは無視され、誤解され、拒否されるか傷つけられてきました。そのため、私たちは赤ちゃんの頃から大人になるまでに、徐々に異なる側面のエッセンスを失っていきます;自らのエッセンスを葬り、それとの繋がりを失います。

エッセンスとの繋がりを失うと失ったエッセンスの代償の結果として生じた穴を埋めるために人格が発達し始めます。人格(偽りの個性、自己概念、エゴ体系)には、頑固や、平気を装う(我慢)などがあり、自身の体験また世界を体験することを幾分堅苦しくしています。まるで、この世を理解するのにレンズやベール越しにといった感じです。依然として、エッセンスと完全に切り離され、ベールが存在していることすら気づかず;私たちの現実は人格に覆われた世界になってしまいます。

人格体系の根底に同一化・同一視があり、それは主体性、個性、独自性、自分自身であること、またはセルフ(自身)である感覚を与えます。人格が私たちの事実上の自分と考えるようになり、それと同一化します。例えば、私たちが「私は軟弱な者です」と言うとき、私たちは弱々しさに同一化し – それと切り離して自分を見ることができません。

我が家への道、真の姿を見つけるには、エッセンスとの繋がりをどのように失ったか知ることが重要になります。この旅で、時には、人格がエッセンスに闘争を仕掛けてくるでしょう、エッセンスに再び繋がると人格の虚偽や浅在性(上っ面)を暴くからです。人格が私たちの敵であり、戦って消滅させなければならないと言っているのではありません。エッセンスに対して手厳しくあっても、人格は周囲の環境の中で私たちの生存を助けるために不可欠に発達したことを覚えておかなければなりません。

それに、人格はしばしの間、私たちに仕えていたのです。したがって、私たちの目的は人格を変える、または、正す、ことではありません。もしろ、客観的に人格が何のためにあるかを見ることが目的で、それは私たちに仕え、主人ではないこと、それが私たちの真の姿ではないことを知ります。偽りの人格から非同一化することができたら、エッセンスは開花し始め自発的に変容が起こり続けるでしょう。


--- Theory of Holes 穴の理論

教えは主に、苦しみはエッセンスとの、そして、私たちが生存している現実との繋がりを失っている結果である、という考えの上にあります。DLTの重要な構成要素となっている穴の理論によれば、環境によるトラウマティックな事件や葛藤の結果としてエッセンスのいくつかの側面との繋がりを失います。

エッセンスとの繋がりを失うと、元気・活力、自信、自発性が欠乏し、穴が空いたように感じられます。よって、それらの欠乏を補うため、エゴ体系を発達させます。構造化された人格が失った質を偽装して心理的な(記憶、痛み、そして葛藤)な穴を埋めようとします。言葉を変えると、エッセンスの感覚を失った結果、堅苦しい人格体系、無意識の行動(思考)様式に陥り、物事を処理するメカニズムとして偏狭な信念体系を発達させます。

例えば、これまでに自分自身で何かをやってみたかった時にそれを両親に妨害された結果として ‘意思Will’ の本質的な質との繋がりを失ったかもしれません。この繋がりを失うと、意思Willの欠乏から自分自身を守るため、頑固さや強情を発達させるでしょう。

重要なことは、エッセンスとの繋がりを失い人格を発達させることは自然な行程であり、たとえ、健全な環境で育ったとしてもそれが起こりえることを覚えていましょう。私たちの周囲の環境のあり方は構造化された人格に支配され、ゆえに、エッセンスの必要性を訴えることができずにいます。

それ自体が悪く、また間違っているということではありません。その逆に、エゴ体系の発達は健全な行程であり、エゴ体系はエッセンスの欠乏によって発達し私たちに仕え、このエッセンスを思い出す旅の中でも継続的に私たちに仕えるでしょう。

例えば、5つの言語を学び最高の成績を収めたかもしれません、または、(自分の)穴が感じないように良い母親になろうともしました。もしそれが、これらの穴の成したことでなければ、決してこのようなことを学ばなかったかもしれません。そして、今、自身で耕したすべてのスキル(技能)と質は日常生活での支えになり、また、私たちの本質に向かう旅にも支えてくれるでしょう支えてくれるでしょう。

DLTの目的はこれらの穴に気づき、どのように満たしているか(騙しているか)、客観的でまた開いており、そして、裁かないことです(非難しない)。ここでの重要な考えは、一度、穴に対して敵対的防御や抵抗をやめ、エッセンスとの繋がりをどのように失ったかの経歴を理解すれば、エッセンスは自発的に流れ始めます。

目的が正すこと癒すことでないとしても、偽りの人格が何のために構築されたか知ることで自然と何らかの矯正や癒しが起こります。本物の自分に気づいていることで無用な努力なしに、私たち自身との、宇宙との、そして私たちがやってきた神の源との繋がりに癒しが起こります。エッセンスが私たちを失った状態から切り離し、傷を癒します。


---  What are the Lataif? ラタイフとは?

クエート出身のサイコ-スピリチュアル(心理-霊的)教師であり、ダイアモンド・ロゴス・ティーチングスの創始者であるFaisal Muqaddamは、エッセンスをオイルランプの中のオイル、ラタイフは燃える炎のようにその芯から蒸発するミストと例えます。ラタイフの質はとてもデリケートで希薄ですが、同時に、実体のある微量の液のようでもあります。

ラタイフは、最初はわずかな、また微細な表れのエッセンスの質であり、意識の形であり、中心でもあります。ラタイフLataif(単称ではラティファLatifa)という言葉は微細なエネルギーを定義するアラビア語です。Faisal Muqaddamは伝統的スーフィーからラタイフの体系を私たち時代の言葉に適応させました。伝統的スーフィーの一般共通意見では、ある種の色と体の位置に関わる知覚(ラタイフ)のプライマル・センターがあると承認されています。

ラタイフを描写する最良の方法は、エッセンスのいくつかの基本的様相の体験の始まり-です。例えば、ホワイト・ラティファは真の意思true will の始まりであり、このエッセンスに触れた時、内なる支えや堅実性、無理のない行動、自信が湧き上がってきます。

それぞれのラタイフはエッセンスに向かう扉または入り口の役割を果たしています。ラタイフが活発になると、そして、神秘体subtle bodyが開くと私たちはもっと現実、エッセンスとともにあるのが感じられ、思考は没頭せずに休んでいます。

このプロセスの間、人格のある種の一部がエッセンスの失われた側面に取って代わり表面に現れるのを直面するか、客観的に知ることになります。この意思Willは、徐々に、堅苦しい人格体系に変容を起こします。